会話以外で使用する「 」の意味

下の乙武洋匡さんの7/24のツイートの中の
赤のアンダーラインを付けた部分に
注目していただきたいのですが・・・

この「私」という表現が
ツイート直後に物議を呼びました。

いろいろなリツイートに対して、
乙武さんが再び、次のような
ツイートを発信しています。

このように、

ここでいう「私」とは、

“私のような属性(ここでは身体障害者の方たちを指します)の人間全般”

という意味ですよ、

「私」=乙武洋匡それ自身を指しているのでは決してありませんよ、

と、乙武さんはおっしゃっていますよね。

ついでに、
よほど、憤慨されたのか、
それとも呆れられたのでしょうか、

それが理解できていない人々を
“読解力”がない、と嫌味付きで。

この「私」の用法は、
受験国語を過去に経験している人は
なんとなくでも周知されていることだと
思います。

国語、特に受験国語の世界で、
小説や論説文などの文中に頻繁に登場する

「〇〇」つまり、

単語をかぎかっこ付きで表現している部分を

〇〇というもの(こと)

または、〇〇のようなもの(こと)

という解釈をするように、指導します。

この解釈法は、
中学受験の国語から
すでに設問となって登場しますので、
進学塾で受験国語の授業を受けた人は
先生から教わっているはずです。

例えば、

«設問X»

彼は、常に「愛」を即物的なものだと解釈していた。

★上の文中の「愛」を、わかりやすく8文字以内で言い換えなさい。

★正解例・・愛というもの。

このような設問が、
中学受験の国語から
しばしば登場します。

ですから乙武さんは、
そのことを国語的に
文章読解力の不足だと
嘆いているのです。

ですが、
ツイッターやブログの世界では、
乙武さんのように、この解釈に従って
忠実に「」を使用している人もいれば、
そうではない使い方をしている人もいます。

そこは、表現の自由度が高いことが
魅力のSNSですから、
「」の扱いについても
許容の範囲で好きなように
使用すればよいと思います。

ちなみに私は、ブログのときは
「」に代わりに” “を使用することが増えました。

特に深い意味はないのですが、
柔らかいイメージになるからでしょうか。

今回、たまたま見つけた
乙武さんのツイートから、
期せずして貴重な気づきが得られました。

そういう意味でもツイッターは、
リアルな現在の日本語が学べる「宝庫」なのです。