「感謝しかない」に違和感しかない理由。

令和から始まった新用法としての「〜しかない」

 

今の私は彼に対して感謝しかありません。

 

つい最近、私がこの表現に出会ったとき、なんとも言えない強烈な違和感を感じました。

というのも、「〜しかない」の「〜」の部分には、文法的・文脈的に「限定された良くない意味の名詞句」が入ると言うのが定説だからです。

 

朝はコーヒーしか飲ままい。

残るは「死」しかない。

こうなったらやるしかない。

 

以前は、こんな表現・用法しかありませんでした。

そもそも、「しか」は「限定」という意味を添える「副助詞」

さらに、

「しか」が来たら「ない」という打ち消し表現が常にセット。

(※このように、後ろに常に同じ表現を要求する副助詞を、特に「取り立て助詞」と呼びます。)

 

「しか〜ない」は、英語表現で言うなら、

副助詞の [ just  only ]   に当たるでしょう。

つまり、本来は「ほんの(ちょうど)〜しかない」という否定的な表現なのです。

「感謝しかない」を自然に使用している人の認識

「感謝しかありません」

を、自然に用いている人の頭の中では、「しか〜ない」について、良い意味の限定的表現である「唯一〜である」と同一に捉えているようです。

これを今までの日本語表現で言い換えるとこうなります。

 

「感謝の言葉もございません」

 

若者たちに避けた「感謝の言葉もございません」

以前なら、感謝の言葉を最大限伝える短い表現として、「感謝の言葉もございません」があったのです。

ですがこの表現、きっと今の若者たちから敬遠されたのですね。

「感謝の言葉もございません」は、「いくら感謝という表現を使っても表現しきれないほどの大きな感謝の意を伝えたい」という意味ですが、平成〜令和を生きる若者たちにとって、それは「感謝の言葉が見当たらない」という、否定的なニュアンスに誤解して聞こえるのだと思います。

ですから、この「感謝の言葉もございません」の代わりに「感謝しかありません」という新表現が現れたのではないだろうかと私は推測するのです。

 

ところでこの「しか」の新用法、一体いつ頃から広まったのでしょうか。

日本語表現ウォッチャーの私としては、ほんのここ2,3年の間ではないかと考えます。

少なくとも私が6年前、高校の国語科教師をしていた頃は、まだ高校生たちの間でこの「しか」の新用法は全くと言って良いでしょう、出回っていませんでした。

だいたいにこのような新しい用法や表現は、中高校生、特に女子高校生が牽引しているということがわかっています。

若い女の子たちは、その柔らかで自由な感性を用いて、次々と時代の空気にマッチした表現を生み出します。

男の子からではなく女の子からというところが、またなんとも興味深いですね。

女性の性が「生み出す性」であることを、言葉の世界でも感じ取れる気がします。

 

今まで否定的な用法でしか使用されなかった取り立て助詞「しか〜ない」は、令和の時代に入り、新たに「良い意味での限定用法」も含意したと言えます。

とは言え、その新しく派生した「良い意味での限定用法」は、まだまだ「話し言葉」と「書き言葉」の中間、つまり「カジュアルな日本語表現」の範疇に留まっています。

新聞記事や公文書などでこの用法がいつ頃から使用されるようになるのか?=いつ市民権を獲得するのか?

取り立て助詞「しか(〜ない)」の新用法を、私は今後も注目していきたいと思います。

 

 

蛇足ですが・・・

私個人としてはこの新用法、まだ正直カラダが全く受け付けない感じです(汗)

(私と同じく、この表現に違和感を感じるあなたは、おそらく40歳以上、昭和生まれの方でしょう。)

新しい言葉の潮流をウォッチすることは大好きですが、だんだんとその新しさをすっと受け取れない「強張った自我」がいます。

これが「脳の老化現象」というものなのでしょうね(苦笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す