『努力義務』の真の意味

私は現在(2021年2月16日)、

コロナワクチン接種に関して

非常な興味・関心を持っています。

それだけでなく、

いろいろな情報を踏まえた上で、

大変危惧しております。

 

そんな今朝、

こんなニュースが舞い込んできました。

 

 

 

 

どうやら正式に、

妊婦へのワクチ接種は回避できたようです。

 

ですが、

授乳中の女性は『努力義務』だそうで、

毎度のことながら、

なんとも片手落ち、

深い洞察のない、

ダブスタ的な、

(意図的かもしれませんが)

この国のやり方にため息が漏れます。

 

 

妊婦を除外するといことは、

胎児を本気で守りたいのですよね。

だったら、新生児も守ってください、

と言いたいです。

 

母乳は血液とほぼ同じ成分。

それを摂取する赤ちゃんにも

ワクチンの成分が当然届いてしまうのですから。

 

ありえないことだらけのニュースが

毎日わんさか湧いてきますが、

このニュースに限っただけでも

他にももう1点、

私には絶対に見過ごせない問題があります。

 

 

『努力義務』という四文字熟語。

この言葉をここで使うのかいと。

 

この言葉、

自動車免許を取得するときに

以前ちらっと見かけたことがあります。

 

そのときも、

頭の中に一瞬「?」とクエスチョンマークが現れ、

非常に違和感の残る言葉でした。

 

言葉の解釈としては

『努力することを義務付ける』

でよいと思います。

 

この解釈を

『できる限りたゆまぬ努力をしましょうね』

というなんとなく優しげな意訳になると、

通常の感覚の人なら勘違いを起こしてしまいます。

 

その勘違いを正していただくために

一例をあげます。

 

車の運転中、

「できるだけ車内でのおしゃべりは控え、運転に支障が出ないようにしましょう」

 

という場合、

「車内でのおしゃべりを慎むことは努力義務です」

という風に権力者側は伝えるのですが、

ここでよく考えていただきたいのです。

 

運転中、

おしゃべりに夢中になっていると、

運転ミスを起こすリスクは確かに高まります。

だからこそ

静かに運転することを努力してくださいと。

 

でも、

そこでおしゃべりをしない努力をしていたのにも関わらず

事故が起きたとき、

その責任は誰にあるでしょうか?

 

 

 

その事故の責任は権力者側ではなく、

運転者本人です。

 

 

非常に大切なことなので、

もう一度言います。

 

 

その事故の責任は権力者側ではなく、

運転者本人です。

 

この具体例を踏まえ、

ワクチンの話に戻します。

 

『ワクチン接種は努力義務です』

という言葉の裏に隠された、

権力者側の真意がジワじワと

でもはっきりと気づきませんか?

 

 

つまり、

“ワクチンを打つ努力をできるだけしてくだくださいね”

“でも、そこで何か起きたときにの責任は、権力者側ではなく、あなた自身ですよ”

と、明記しているのです。

 

 

もっとわかりやすく言い換えるなら、

 

「摂取するかどうかは自己責任でね」

と同義だということです。

 

 

もしもあなたがワクチンを接種した後、

重篤な後遺症が現れ、

国を相手取りその責任を訴えたとき、

間違いなくこの言葉が生き生きと再現され、

その効力を発揮することでしょう。

恐ろしや恐ろしや。

 

 

努力義務・・・

このわかりにくく狡猾な言葉を巧みに利用し、

国民の大多数の思考を停止させることが、

この単語を選びだした主たちの真のねらいだ

と私は思います。

 

 

私は言葉に関して非常に敏感な人間です。

この四文字熟語に対する当初からの違和感は、

今改めて、政府に向けての不信感と

静やかな怒りへと変わりました。

 

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